自覚的自我とメタ認知で自己の魂を救う
目次
自覚的自我とメタ認知で自己の魂を救う
真我について
私たちは、どれだけ本当に自分のことがわかっているかと考えると、自分自身のことが
あまり理解していない人が多く見受けられる。
目の前にケーキがある。 ケーキが美味しいな。と。
そこにあるのは「自分」と食す目的である「ケーキ」しかない。
「自分」とある「目的」だけがあって、ただ無自覚にケーキを楽しんでいる。
そ こには何の自己観察もないかもしれない。
自分が本能的に行為を行っている。
これは 「動物的自我」でという。
自分自身の心の働き、食べるという行為は、果たして善か悪か。 当然こうした点に注意を向けることはない。
ケーキは、生き物ではない為深く善悪は考えないかもしれない。ただしダイエットにおいては考える人もいるかもしれないが。
これを中村天風は 「無意注意」とよぶ。
そこにはケーキを食べている自分”があるのみである。
ケーキを食べるという行為に没入し、ただケーキを食べる人そのものである。
メタ認知と自覚
ところがもしその人がハッと気がついて“ああ、ここにケーキを楽しんでいる自 分がいる”と自己をみつめる
「客観的な自我」 を働かせれば、その人は “ケーキを楽しんでいる自分の心の動きに気が付いている”のだから自分の心の動きを「自覚」している。
メタ認知に近いものがある。
ケーキを楽しんでいる自分と、それを客観的に見る自分がいて、 楽しんでいる自分に「対して」 いる。
よってこれをドイツ哲学では 「対自的」 = 「ヒュールジッヒ (fur sich)」と よぶ。
あるいは自分の心の動きに注意しているという意味で、中村天風は 「有意注意」 とよぶ。
自覚的自我
ケーキを楽しんでいる自分を客観的にながめる自分 自覚的自我 とよぶ。
そして本当の自分はこの「自覚的自我」 の中にあるのだ。
本当の自分とは、 「神になれる自我」 = 「真我」 である。 この 「真我」の中にチャクラはある。
チャクラをめざますためには自覚的に生きる必要がある。
自覚的自我を追及する
自覚的自我を追及すると「反応」が見えてくる。
お天道様に顔向けできないとは
太陽を見なさいといわれる。 しかし、どうしても太陽を見る気になれない。
なぜだろ かと自覚的に考えると、 実はあの人に迷惑をかけた、 申し訳ないことをした、だから
あの人の目がまともにみれないのだ、という心理状態である。
そして白日の明るい太陽とこの人の視界を心の中でだぶらせて考えてしまう。
だから太陽を見ることができないのだとわかってくる。
自己の魂を救う重要性
自己の魂を救うことを先に考えなければならない。
自己がいなければ、この宇宙はあっても、この宇宙を考えることはできない。
自己と はそれほど偉大な存在であるということだ。
だから、一刻も早く自己の魂を救うべきであって、他人の視線を気にする必要はない。
さらに、また太陽の光線は、他人の視線と違って、それは本当はあなたを癒す視線である。
天照大神そのものなのだ。
それによって私たちは傷ついた自分の心をいやすことができるのである。
人は期待する生き物だが期待は外れるものである
わくわくと期待していた物事が、案外と期待はずれであったということはよくある。
“こんな人だとは思わなかった”これはため息である。裏切られたと思う人もいる。
“こんな人だとは思わなかったとういことは、
この人は自分の期待値より低くこのままではダメだから
私が 手を貸して改良改善しなければならないのだ”という心の叫びが見える場合がある。
しかし、他人はコントロールはできないものと心得よ。あきらめも肝心。
同時に覚える「寂しさ」 で自分が嫌になる 「嫌悪感」 に変わる。
結局、 私たちの悟りを邪魔するものは 「自己嫌悪感」 と 「怠惰な心」なのである。
この2 つの心の動きを乗り越えるためには、“本当に大切にしなければならないものは何 か?
“本当に愛さなければいけないものは何か?” と考えぬくことである。
さらにそれを自覚的に考えてみよう。
ギバーでいることが大切
何かを要求されずとも、また怒りをあらわすことなく行動できる
これは「優しく、ほがらか な心」である。
人生の時間は万民に限られている。 この人生に成功するためには 「限られた時間で、 よりたくさんのことをやる」ことである。
そのために必要な心構えとは 「優しさ、朗らかさ」なのである。
続いて、 自覚的に考えてみよう。
世の中の人々というものは、よほど親しくならない限り、その人の心の本音というも のをつかむことができない。 相手の態度がいつまでもはっきりしないと、“いい加減 に yes か no か態度をハッキリさせてよ” と言いたくなる。
ところが、人の心というものは大半が yes でもnoでもない中間のグレーゾーンが
ある。
世間の人が自分に 「no」 といえば、要するに自分の居場所がなくなるということであ る。
これは「自己破壊衝動」なのである。
この「グレーゾーン」 を明るい気持ちで説得しながら 「yes」 に変えていこうとする
心のエネルギー、これを 「楽観力」 とよぶのである
世の中を生き生きと生きるには、 この 「楽観力」 というのが必要なのだ。
言い方を変 えれば、それは「自肯定、 他肯定」 ということになる。
自分の心の暗さを、 この 「楽観力」 で明るく創造的に変えるなら、
体力と健康に恵ま しめていた植物の種が、白タカが立 れるだろう。
自分に否定的な相手の心を、目を閉じて 「楽観力」で少しずつ解きほぐすと念じるな ら、固く閉ざされた相手の心もまた、 春の海のようにとけはじめるはずだ。