氣功的『器』とチャクラの不思議なお話

氣功的『器』の不思議なお話

何人も受け入れる度量のことを「器」という。

「器」の大きさとは胆田にあるスヴァ ジスターナ・チャクラの渦の大きさです。

確かに「器」が大きいとたくさんの人々が集まります。

多くの人の協力が得られるでしょう。

ですが、困ったこともあります。

集まった人数が多いほど、より偉大な目標を示さないと、

今度は たちまちその集団に自分がひきずられてしまうのです。

西郷隆盛の器

かつて西郷隆盛がそうでした。

彼は多くの志士を従え、維新という大事業を達成し ました。

これだけ多くの人々を集めることができたのは、彼の「器」の大きさが故であります。

ですが、最後は集まった志士たちの不平不満をコントロールできずに

反政府軍の総大将 となってしまいました。

あの時志士たちに必要なのは「経済」に移行するという「変化」 であったのですが、

「胆田」 だけ発達しているとなかなか変化しづらいものなのです。

それでも同じ環境にじっとしがみついていたら、やがては衰退してしまいます。

自分ひとりだけでも生きていけるようにがんばろうと決意する瞬間がやってくるのです。

 

細々とした収入で生活しているときに“あなたは今のうちにどんどん勉強するんです よ”といわれたら、

きっと“何でそこまでがんばらなければいけないのか!”と反発 するか、あるいは本気になれないかもしれません。

 

収入が底をつくとご主人や協力者の仕事がうまくまわらなくなっていきます。

その頃になって“もっと勉強しておけばよかった” と思っても手遅れなのです。

親から言われる「勉強 しろ」 と言われた時は、“何でそこまでやるの?” と被害者意識で反発してしまう。

しかし、本気になってがんばれば、 必ず道は開かれていきます。

このとき中心になってあなた を支えているのはへそとみぞおちの間にある

「マニプラチャクラ」というものです。 ここは「自己主張」 の座なのです。

「自己主張」 することでいったんは仕事がうまくい って、収入も得られるでしょう。

しかし、世の中にはいろいろなニーズがあるのであっ て、それらすべてのニーズに自分の頭と心と能力だけでこたえられるはずがないです。

何となればもしも自分が好きなものを相手にすすめたとき、それを相手から拒絶され たなら、

自分を侮辱されたと感じて腹が立つからです。

「自我」 というデカルトの西洋文明に汚染されている

現代人の最大の病は「待てない」 ことによって「自我」は次の 「大我」 の文明に移れないことです。

大切なら、「待てない」ことが今の社会のあらゆる事件の背後にあります。

 

人々の心は、実にきれやすい状態にあって、 怒りが充満しています。

大都会の満員電車 に乗ると、 それがよくわかります。

待てない現代人

「待てない」のは、すぐに 「結果」 がほしいからです。

「結果」は物質であり、結果に至るプロセスが重要なのです。

祈りによって結果が得られるとしても、すぐには結果が得られないです。

“旅行に行きたい” と祈っても、その間にどれだけたくさんの人々の心が動かされて

この人を旅行に行かせてあげよう”という波がより多くつくられることが重要なのです。

「待ってあげる「結果」という物質文明の次にくるものは「プロセス」を大切にし、

より多くの人々 の協力が得られるという 「プロセス文明」 なのです。

意味のわからぬ霊的文明がくるわけではないです。

ある時を境に、 人々の肉体が霊体にかわるわけではないです。

プロセス文明がやってくるのだとしっかりと悟りましょう。

より多くの人々の協力があるためには、学びあう、教えあう、という水平的な横並び の社会がこなくてはなりません。

宗教にしても誰か特定の人を崇拝するというのではいけないです。

もちろん尊敬は必要で ありますが。

私がなるべく要素だけを抽出するだけで、宗教的儀式を行わないのは、その為なのであり、

決して神仏を軽んじて いるわけではないです。

自分の焦る心を少しだけおさえて、 相手の反応をまってみましょう。

はじめは無価値に思われていたのに、待っているうちにもっとよいアイデアや発想が 浮かんできて、

あなたはもっと豊かになるに違いありません。

そして相手が心の底から求めてきたら、その時こそ全身全霊で助けてあげればいいです。

待つことは大河への道しるべ

待つことは無駄ではないです。 それは、より偉大なる 「大我」 への道なのであります。

どうしても自分以外の人々の協力や支えがないとやっていけないです。

気づくこ ところが周りの人々があなたに対して“協力なんかしてやるものか”と思っていたら、

誰も助けはしてくれないでしょう。

人助けについて

いざというとき、他人の助けがいただける人間となるためには、

普段から何かれとな く自分以外の人々を助けよう助けようと思っていることが大切です。

しかし、この「人助け」 が実は大変なのです。

なんとなれば心の中で “私だって自分の ことは自分でやってきたのです。

あなたも自分のことくらいちゃんとしなさいよ”とい 内なるささやきがあります。

それでも「人助け」 の大切さを学ぶと、 “そうか、 そんなに人助けが大切なら、が ばってやってみようか”といったんは勇気を出して人助けを実践してみようかという気になります。

しかし、いざ人助けの現場に直面すると、 “助けてあげようと思ったけれど、

もしも 自分のやり方を押し付けたら、かえって嫌われるのではないか。 それに、

もしうまく いかなかったら何といわれるだろうか”と悩んでしまうかもしれません。

うまくいくかいかないかは相手があなたの話をじっくり理解して、それを自分なりの ノウハウ、

やり方として心の中できちんと整理するかどうかにかかっているのです。

それゆえ、あなたは相手が自分のペースでじっくり理解するまで「待ってあげる」と いう行為さえできればそれでよいのです。

すなわち、この場合、「人助け」の最大の障害は「待てないです。 我慢できない心」にあ ます。

「人助け」 が善か悪かではないです。 “他人のリズムやペースに合わせて待つことができ るかどうか”ということなのです。

このとき、“他人のリズムに合わすのはまっぴらごめんです。

私は私だから”という声 にひきずられたとすれば、 「私は私だ」という「自我の強さ」 があなたを圧倒したこ とになります。

つまり、あなたの魂の次元は「自我の座」=マニプラチャクラにとどまっ ていることになります。

これでは自己と相手を対等にみる「大我の座」=アナハタチャクラへと自己の魂をす すめることはできないです。

心を 「自我の座」 においたままで「人助け」 をしても心に苦 悩をうむだけであります。

人助けの障がい

もうひとつ「人助け」 をする上で障害となるのは、 “自分が一方的に相手によいこと をして

見返りがないのは損だ” という気持ちであります。

自分をさしおいて周りの人々が次々と幸せになってゆくなら、

いよいよ自分のみじめ さがクローズアップされて情けなくなってしまう。

この時点で私たちは“救うべきは今ここで苦しんでいる自分の心である” と気づくこ 大切

“損した、 損した” と苦しんでいるのは、他人ではないです、自分なのであります。

「自分の心を救う」 には、 自分の心が天からの光でできていることを知らなくてはな

りません。

 

物質的幸福は、直接には自分の心の幸せとは関係がないです。

心に天からの光が少ないから、 苦しんでいるということなのです。

目には見えない光のエネルギーの量こそが幸せの泉であり、かつてはこの宇宙をつく った根源でもあるということです。

目に見えない光のエネルギー

~私たちの心には目には見えない 光のエネルギーが注ぎ込まれてい る~

ではどうしたら心に光を感じることができるか、というと、

自分で自分の心に光を注 ぐ姿をイメージすることによって可能であります。

人があなたを褒めるのは、まずあなたが自分自身でほめたからであります。

人があなたからものを買うのは、あなたが心の中でこういう自分からなら物を買って もいいなと思ったからです。

人があなたを幸せにするのは、心の中であなたが自分に対して“もうそろそろ幸せに なってもいいのではないか”と自分で自分に寛容になれたからなのです。

こうして“みじめです。 つらい、助けてくれ”というグルグル回る感情の渦を発してい る

あなたの心に自分で光を送って感情の渦をしずめてゆくことが大切であります。

次に何 をやるのかという知恵が出てこないとすればこうした感情の渦が天井の光を遮り、

仏 智の湧現をさまたげているということです。

心の霧が晴れれば、 天井の光が心に入ます。 そうすれば心は幸福、

平安に満たされその時初めて現実の生活によい変化が生まれてくるでしょう。

 

 

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